「……小百合〈さゆり〉?」
声に振り向くと、公園のベンチに座る悠人〈ゆうと〉がいた。
「なんか、久しぶりだね」
小百合がそう言って、悠人の隣に座る。
「だな。高校までは毎日一緒だったから、俺も久しぶりな気がするよ」
「一週間も経ってないのにね」
小百合が小さく笑う。
「大学はどうだ?」
「うん、それなりに楽しいよ。友達ともよく遊びに行くし、サークルのみんなも優しいし」
「そっか。まぁ楽しくやってるならいいさ」
「悠人は?」
「俺か? 俺はいつも通りだよ」
「どうせ一人で講義受けて、終わったらまっすぐ帰ってるんでしょ。一人で」
「今の大学には、お節介な保護者もいないしな」
「悠人くん。それはもしかして、私のことを言ってるのかね」
拳を握り、小百合がにっこり笑う。
「はははっ」
「ふふっ」
* * *
「でもほんと、久しぶりだよな。こんな感じで喋るのも」
「別々の大学で生活サイクルも変わって、行き違いばっかだからね」
「最初の頃はお前も、夜になったら俺の部屋に来てたんだけどな」
「それってちょっと、いやらしくない?」
「全然。子供の時は風呂も一緒だったんだ。今更だろ」
「それはそうだけど」
「そんなこと言ったらお前、去年の今頃、毎晩俺の家に泊まってたじゃないか」
「あれはだって……悠人の家庭教師してたからじゃない」
「そうなんだけどな。その節は本当、お世話になりました」
悠人が大袈裟に頭を下げる。
「いえいえとんでもない。出来の悪い生徒だったけど、なんとか合格させることも出来たし、先生としては満足でしたよ」
「お前とは頭の出来が違いすぎるからな。お前は推薦、俺はランクをひとつ下げてもぎりぎりだったからな」
「でもあの
陽が落ちてきた頃。 この日の締めとして、二人は観覧車に乗った。 ゆっくりと夜景が動いていく。狭い空間で優しいBGMが流れる中、小百合〈さゆり〉が口を開いた。「悠人〈ゆうと〉。今日までよく頑張ったね」「それはこっちのセリフだ。小百合、ありがとな」「悠人なら大丈夫。絶対合格するよ」「だといいんだけど……ははっ」「またぁ。すぐそうやって不安そうな顔をする」「いや……楽しかったから忘れてたけど、俺って明日、受験なんだよな」「もぉー、今からそんな弱気でどうすんのよ」「だな。今更じたばたしても仕方ないよな」「絶対大丈夫だから。自信持ってよね」「でも……今日で終わりなんだな、こんな時間も」「あ……」 悠人の言葉に、小百合がはっとした。 そうだ。合格にしても不合格にしても、悠人の家で一緒に過ごした生活は、今日で終わりなんだ。 そう思うと急に、小百合の中に寂しさが込み上げてきた。「そう、だよね……こうして悠人といるのも、今日が最後なんだよね……」 小百合の様子に悠人は、しまった、今する話題じゃなかった、そう猛烈に後悔した。 小百合はうつむきながら、懸命に笑みを浮かべようとする。「ダメダメ、今日はリフレッシュの一日なんだから。しめっぽくするのはやめよう!」「……すまん、悪かった」「いいっていいって。この話はこれで終わり。それより悠人、隣に行ってもいい? 渡したいものがあるの」「あ、ああ、いいよ」 悠人の隣に座ると、小百合はバッグからラッピングされた包みを出した。「今日まで小百合先生によくついてきました。これはそのご褒美です。ちょっと早いけどバレンタインチョコ、受け取ってください」
「……」 目を覚ました悠人〈ゆうと〉が、またしても違和感を感じた。 違和感の原因である何かが、体にまとわりついてくる。「うぎゃあああああああっ!」 沙耶〈さや〉だった。「ななな、なんでお前がいるんだ!」「どうしたの!」 悠人の叫びに、小鳥〈ことり〉が部屋に駆け込んできた。「……サーヤ……?」「ん……ふにゅ……」「こ、小鳥……助けて……」「……」 まどろみの中、またしても沙耶の顔が近付いてくる。小さな口を開け、悠人の首筋を頬張る。「はむっ……」「ダメええええええっ!」 叫ぶと同時に、小鳥が沙耶の体を引き離す。そしてすかさず、自分の両足を悠人の首に巻きつけた。 関節技、「首四の字固め」の完成。「ぐががが……」 悠人が悶絶しながらタップする。「朝からサーヤに抱きつかれて、しかもいやらしそうに喜んで……この、このっ! 私というものがありながら!」「ギブ……ギブだ小鳥……」 小鳥が足をほどくと、悠人が首を押さえて咳き込んだ。「……お、お前……朝の目覚めにこれはきついぞ」「だよねー。悠兄〈ゆうにい〉ちゃんは、サーヤのキスの方がいいんだもんねー」「当たり前のように冤罪を吹っ掛けるな」「ふっ……」 沙耶の肩が震える。「ふふふっ」「サーヤ?」「いやすまない。面白い
地下から上がると、そこは既に本通りだった。 悠人〈ゆうと〉の知る、日本橋最短ルート。少し歩くと、すぐにフィギュアの店やDVDショップが目に入った。 生粋の電気店やアダルト専門DVD店なども立ち並ぶが、悠人と小鳥〈ことり〉の目には入らなかった。見えているのはアニメショップ、それだけだった。 まずは腹ごしらえにいつもの店と、悠人が入ったのは牛丼屋だった。 時間短縮と経費削減にはここが一番。そう言った悠人に小鳥も同意だった。早々に食べ終わると、いよいよショップ巡りが始まった。 入口いっぱいに陳列された食玩の店に入ると、そこはうなぎの寝床のように真っ直ぐ縦長になっていた。その店の中には入口同様、所狭しと食玩が並べられている。 数百はある食玩に圧倒されながらも、小鳥はお目当てのものがないかと目を輝かせながら物色を続けた。 大型店舗では雑誌や漫画、ポスターやキャラクターグッズに興奮し、中々出ようとはしなかった。こういった店に初めて入った小鳥にとって、ここは宝の山に他ならなかった。 裏通りに入っても、小鳥の興奮は収まらない。 入っては物色を続ける中、とあるフィギュア専門店をロックオン、中に入ろうとした。その小鳥の腕をつかみ、悠人が首を振る。「ここはやめておこう」「どうして? フィギュアのお店だよね。ちょっと覗いてくるね」 そう言って、小鳥が一人で入っていく。悠人は苦笑し、店の前で煙草を吸いだした。 そしてしばらくすると、小鳥が血相を変えて店から出てきた。「おかえり」「な、な、何? このお店」「だから言っただろ。ここは男の夢と欲望のつまった店なんだ」「でもあのフィギュア、胸も、それからその……全部見えてて、な、なんか……」 見る見る内に、小鳥の顔が赤くなっていく。悠人は笑いながら、「喉、渇いただろ。なんか飲むか」 そう言って歩き出した。 自動販売
「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、泣いてるの?」 夕焼けに赤く染まった公園。 ベンチに座り、肩を震わせている男に少女が囁く。「悠兄ちゃん寂しいの? だったら小鳥〈ことり〉が、悠兄ちゃんのお嫁さんになってあげる」 そう言って、少女が男の頭をそっと抱きしめた。 * * * 3月3日。 終業のベルがなり、作業を終えた彼、工藤悠人〈くどう・ゆうと〉が事務所に戻ってきた。「お疲れ様でした、悠人さん」 悠人が戻ってくるのを待ち構えていた、事務員の白河菜々美〈しらかわ・ななみ〉が悠人にお茶を差し出す。「ありがとう、菜々美ちゃん」 悠人が笑顔で応え、湯飲みに口をつける。 その横顔を見つめながら、菜々美が深夜アニメ『学園剣士隊』について話し出した。感想がしっかり伝わるよう、一気にまくしたてる。「やっぱり悠人さんの言ってた通り、生徒会が絡んでるみたいでしたよね。最後のシルエット、あれって生徒会長ですよね」 悠人に心を寄せる菜々美にとって、悠人と話せる昼休み、そして終業後の僅かな時間は貴重だった。 工場主任で、作業が終わってから書類整理の仕事が残っていると分かってはいるが、限られた時間、少しでも悠人と話したいとの思いに負け、こうして話し込んでしまうのだった。 机上の納品書に判を押しながら、悠人もそんな菜々美の話に、いつも笑顔でうなずいていた。 アニメの話がひと段落ついた所で、菜々美が映画の話を切り出してきた。「実家からまた送ってきたんですよ、優待券」「ほんと、よく送ってきてくれるよね、菜々美ちゃんのお母さん」「民宿組合からよくもらうんですよね。で、よかったらなんですけど……悠人さん、また一緒に行ってもらえませんか」「そうだね……次の連休あたりになら」「あ、ありがとうございます!」 菜々美が嬉しそうに笑った。 * * * コンビニに入った悠人は、ハンバーグ弁当と味噌汁、コーラをカゴに入れてレジに向かった。 家のすぐ近くにあるこのコンビニの店長、山本とはここに越してきた頃からの付き合いだった。「奥さんが留守だと大変だね。弥生〈やよい〉ちゃんは今、東京だったよね」「ええ、池袋の方に行ってるそうです。あさってには帰ってきますけど、また遠征話で盛り上がりそうです……って、だから嫁さんじゃないですから」「あはははっ。早く結婚しちゃいなよ、
「何の冗談だ、これは……」 この40年、幼馴染の小百合〈さゆり〉以外に心を奪われたことのなかった魔法使いの俺に今、こいつは何を言った? アニメにしてもクレームものだぞ。 幼馴染からのとんでもない話に、悠人〈ゆうと〉の頭は混乱した。その悠人に、小鳥〈ことり〉が背後から抱きついてきた。 さっきとは違う感覚。自分との結婚を望む少女の抱擁に、悠人が顔を真っ赤にして小鳥を振りほどいた。「待て待て待て待て、冗談にしても質が悪い。エイプリルフールもまだ先だ」「大好き」「人の話を聞けえええっ」「聞いてるけど……あ、ひょっとして悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、好きな人とか付き合ってる人とかいるの? お母さん以外に」「いや、そんなやつはいないが……」「よかった、なら小鳥にもチャンスあるよね。3ヶ月の間に小鳥の想い、いっぱい伝えてあげるからね」 悠人の混乱ぶりを全スルーして、小鳥がそう言って無邪気に笑った。 * * * 時計を見ると22時をまわっていた。「もうこんな時間。ご飯まだだよね、ごめんね」 そう言って小鳥は、悠人が買ってきたコンビニ弁当を電子レンジに入れた。「悠兄ちゃん、こんなのばっかり食べてるの?」「腹が膨らめばなんでもいいんだよ、俺は」「そっかぁ……やっぱり男の一人暮らしはダメだね。これからは小鳥が毎日、おいしいもの作ってあげるからね」 そう言って小鳥は、リュックからパンを出した。「そういうお前はそれなのか」「うん。今日はバタバタすると思ってたから」 悠人がそのパンを取り上げる。「育ち盛りがこんなんでいい訳ないだろ。これ食べろ」 そう言って、レンジから出した弁当を小鳥の前に置いた。「でもこれは、悠兄ちゃんのお弁当で」「俺は腹が膨らめば何でもいい、そう言っただろ。お前こそしっかり食べないと。色々とその……栄養偏ってるみたいだし」 と言いながら、思わず胸に視線をやってしまった。それに気付いた小鳥が赤面し、慌てて胸を隠す。「こ、これはまだ、まだ育ってる途中だから!」「いいから食べろ。明日は土曜で休みだけど、それでももうこんな時間だ」「じゃあ、ここにいてもいいの?」「いいも何も、もう来てしまったんだ。嫁さん云々はともかくとして、せっかくの卒業旅行だろ? いいよ、しばらくいても」「ありがとう、悠兄ちゃん!」 そう言って小鳥がま
悠人〈ゆうと〉と小鳥〈ことり〉の母、水瀬小百合〈みなせ・さゆり〉は物心ついた時からいつも一緒だった。 閑静な住宅街にたたずむ一軒家。それが悠人の生まれ育った家だった。その隣に二階建てのハイツがあった。 電機メーカー工場の社宅。そこに小百合は住んでいた。 二人はいつも一緒だった。互いの家を行き来し、一緒にいることが当たり前だった。 物静かで運動音痴、いつも家で本を読んでいる悠人とは対照的に、小百合はいつも元気に走り回る少女だった。 言いたいことをはっきりと口に出す小百合と、いつも周りを気にして、自分の思いを口にしない悠人。そんな相反する二人は、同じ年にも関わらず、小百合が姉で悠人が弟、そんな奇妙な関係の中でバランスを保っていた。 * * * 小学校に入ると、朝の弱い悠人を起こしに、毎日小百合は迎えに来るようになった。 赤と黒のランドセルが仲良く並んで歩く姿は、そのまま6年間続いた。 しかしそれが悠人のいじめにつながった。 活発でクラスの中心になり、男子からも人気の高かった小百合と一緒にいる悠人は、当然のように男子生徒の嫉妬の対象となった。クラスの男子から「いつも女と一緒にいる泣き虫」とバカにされる様になった。 逆らったりすると余計にいじめられる、そう思い、悠人はその中傷を黙って受け入れていた。クラスの違う小百合からそのことを問いただされることもあったが、そのことについて語ろうとはしなかった。 悠人は自分にコンプレックスを持っていた。運動も出来ず、持病の喘息の発作も定期的に起こり、ある意味いじめの対象になっても仕方ない存在だと思っていた。 そんな自分と一緒にいてくれる小百合のことが、本当に好きだった。異性としてはまだ意識してなかったが、彼にとって一番必要な、大切な存在だった。だからこそ小百合に、彼女が原因でいじめられていると告げることは出来なかった。心配もかけたくなかった。 * * * 悠人は自然と、そんな現実から自分を守る習性を身につけていった。きっかけは小百合と、小百合の父と三人で行ったファンタジー映画だった。 日常生活においてパッとしない少年が、ある事件を境に魔法を使う能力に目覚め、仲間を集める旅に出て、世界を守る為に魔物と戦う物語。その世界観に、悠人は夢中になった。 それから悠人は、その類の書物をむさぼるように読
あの歌が聞こえる。 まどろみの中、その優しい歌声に悠人〈ゆうと〉がゆっくりと目を開けた。「小百合〈さゆり〉……」 歌声の主は小百合の一人娘、小鳥〈ことり〉。(小百合そっくりだな……) 小鳥は台所で朝食の準備をしていた。 そういえば昨日から、小鳥が家に来てるんだったな……そのせいか。あんな夢を見たのは……悠人の頭が徐々に覚醒してくる。 * * * ゆっくりと起き上がり、机の上の煙草に手をやり、火をつけた。その気配に気付いた小鳥が、勢いよく部屋に入り悠人に抱きついた。「おはよー、悠兄〈ゆうにい〉ちゃん!」「わたったったったっ……待て待て小鳥、火、火っ……」「だめだよ悠兄ちゃん、寝起きにいきなり煙草吸ったりしたら。寝起きにはまず水分摂らないと。癌になる確率が上がるんだからね」 どこでそんな知識を仕入れてるんだか……大体癌のことを言い出したら、煙草そのものが駄目だろうに。 そう思いながら煙草をもみ消す。「あーっ、そうだった!」 いきなり小鳥が大声を上げた。「なんだどうした」「悠兄ちゃん、なんで隣の部屋に移ってたのよ。起きたら隣に悠兄ちゃんがいないから、寂しくて泣きそうになったんだからね。朝から半泣きで探し回って、最っ低ーな目覚めだったんだから。プンプン」「……プンプンって擬音を口にするやつ、初めて見たぞ……まぁあれだ、小鳥。寂しいかもしれないけど、同じ屋根の下なんだから我慢してくれ。いくら小鳥でも、流石に18の娘と一緒には寝れんよ」「結婚するんだからいいじゃない。それに歳も18だし、条令もクリアしてる訳なんだから」「条令ってお前、何の話を……この話は長くなりそうだな。朝ごはん作ってくれたんだよな、食べようか」 話をかわされ、少し不満気な表情を浮かべた小鳥だったが、「だね。まずは食べよっか」 そう言って立ち上がった。 * * * 顔を洗い、歯を磨いて椅子に座る。小鳥が手を合わせているので悠人もそれにならった。「いっただっきまーす」 なんで朝からこんなに元気なんだ。こんなところまで母親ゆずりなのか……苦笑しながら悠人が食パンを口にする。「そうだ悠兄ちゃん。悠兄ちゃんには朝から言うことてんこ盛りだよ」「なんだ、何でも言ってみろ」「威張ってもダメ。悠兄ちゃん、冷蔵庫の中に物なさすぎ。コーラとお茶だけってどう言うこと
「さ……流石に買いすぎだろ……」 ここに越してきた時でも、ここまで買い物をした記憶はないぞ。 そう思いながら悠人が鍵を開けようとした時、ドアの隙間に挿してある一枚の紙に気付いた。 宅配便の不在表で、家に入り連絡すると、15分ほどして業者が荷物を持ってきた。荷物はダンボール二箱と、細長く厳重に梱包された筒状の箱だった。 ダンボールには小鳥の服、その他もろもろの日用品が入っていた。「女子にしては少ない荷物だな。まぁ3ヶ月だからこんな物か……で、これは何なんだ?」「ふっふーん、これはね」 そう言って小鳥が筒状の梱包を外していくと、中から三脚と望遠鏡が出てきた。「結構高そうなやつだな」「これは小鳥がバイトしまくって買った宝物。悠兄ちゃんの天使の次に大切なものなんだ。悠兄ちゃんと一緒に星が見たかったから、これは持っていこうって決めてたんだ。でもね、そのつもりだったんだけど…… ここって星、ほとんど見えないんだね」「昔はもう少し見えてたんだけどな、街が明るくなりすぎたから。過疎ってきてるとはいえ、これでも都会なんだよな。 ま、3ヶ月ここにいるんだから、そのうち山にでも連れていってやるよ」「楽しみにしてるね。でも悠兄ちゃん、春先でこんなんだったら、夏なんて見える星ないんじゃない?」「間違いなく見えるのは、月ぐらいかな」 その言葉に反応した小鳥が、「月って言えば……」 そう言ってダンボールの中に手を入れ、冊子のような物を取り出した。「じゃーん!」「だから……じゃーんなんて擬音、リアルで口にするやつはいないぞ……ってこれ」 それは月の土地権利証書だった。「お前、月の土地持ってたのか」「悠兄ちゃん、ここここ。ここ見てよ」 小鳥が指差すそこは権利者の欄だった。そこには悠人の名前が記載されていた。「俺の土地なのか?」「悠兄ちゃん、小鳥に約束してくれたでしょ? 大きくなったら小鳥と結婚して、月で一緒に暮らしてあげるって。だから小鳥、未来の旦那様の名義で買ったんだ」「なんとまぁ、5歳の時の約束をしっかり覚えていたとはな。ちょっと待ってろ」 悠人は笑って立ち上がり、洋間に入っていった。ごそごそと音がしてしばらくすると、小鳥が手にしているのと同じものを持ってきた。「ほら」「え……?」 悠人が開いたその権利証書には、小鳥の名前が記載さ
地下から上がると、そこは既に本通りだった。 悠人〈ゆうと〉の知る、日本橋最短ルート。少し歩くと、すぐにフィギュアの店やDVDショップが目に入った。 生粋の電気店やアダルト専門DVD店なども立ち並ぶが、悠人と小鳥〈ことり〉の目には入らなかった。見えているのはアニメショップ、それだけだった。 まずは腹ごしらえにいつもの店と、悠人が入ったのは牛丼屋だった。 時間短縮と経費削減にはここが一番。そう言った悠人に小鳥も同意だった。早々に食べ終わると、いよいよショップ巡りが始まった。 入口いっぱいに陳列された食玩の店に入ると、そこはうなぎの寝床のように真っ直ぐ縦長になっていた。その店の中には入口同様、所狭しと食玩が並べられている。 数百はある食玩に圧倒されながらも、小鳥はお目当てのものがないかと目を輝かせながら物色を続けた。 大型店舗では雑誌や漫画、ポスターやキャラクターグッズに興奮し、中々出ようとはしなかった。こういった店に初めて入った小鳥にとって、ここは宝の山に他ならなかった。 裏通りに入っても、小鳥の興奮は収まらない。 入っては物色を続ける中、とあるフィギュア専門店をロックオン、中に入ろうとした。その小鳥の腕をつかみ、悠人が首を振る。「ここはやめておこう」「どうして? フィギュアのお店だよね。ちょっと覗いてくるね」 そう言って、小鳥が一人で入っていく。悠人は苦笑し、店の前で煙草を吸いだした。 そしてしばらくすると、小鳥が血相を変えて店から出てきた。「おかえり」「な、な、何? このお店」「だから言っただろ。ここは男の夢と欲望のつまった店なんだ」「でもあのフィギュア、胸も、それからその……全部見えてて、な、なんか……」 見る見る内に、小鳥の顔が赤くなっていく。悠人は笑いながら、「喉、渇いただろ。なんか飲むか」 そう言って歩き出した。 自動販売
「……」 目を覚ました悠人〈ゆうと〉が、またしても違和感を感じた。 違和感の原因である何かが、体にまとわりついてくる。「うぎゃあああああああっ!」 沙耶〈さや〉だった。「ななな、なんでお前がいるんだ!」「どうしたの!」 悠人の叫びに、小鳥〈ことり〉が部屋に駆け込んできた。「……サーヤ……?」「ん……ふにゅ……」「こ、小鳥……助けて……」「……」 まどろみの中、またしても沙耶の顔が近付いてくる。小さな口を開け、悠人の首筋を頬張る。「はむっ……」「ダメええええええっ!」 叫ぶと同時に、小鳥が沙耶の体を引き離す。そしてすかさず、自分の両足を悠人の首に巻きつけた。 関節技、「首四の字固め」の完成。「ぐががが……」 悠人が悶絶しながらタップする。「朝からサーヤに抱きつかれて、しかもいやらしそうに喜んで……この、このっ! 私というものがありながら!」「ギブ……ギブだ小鳥……」 小鳥が足をほどくと、悠人が首を押さえて咳き込んだ。「……お、お前……朝の目覚めにこれはきついぞ」「だよねー。悠兄〈ゆうにい〉ちゃんは、サーヤのキスの方がいいんだもんねー」「当たり前のように冤罪を吹っ掛けるな」「ふっ……」 沙耶の肩が震える。「ふふふっ」「サーヤ?」「いやすまない。面白い
陽が落ちてきた頃。 この日の締めとして、二人は観覧車に乗った。 ゆっくりと夜景が動いていく。狭い空間で優しいBGMが流れる中、小百合〈さゆり〉が口を開いた。「悠人〈ゆうと〉。今日までよく頑張ったね」「それはこっちのセリフだ。小百合、ありがとな」「悠人なら大丈夫。絶対合格するよ」「だといいんだけど……ははっ」「またぁ。すぐそうやって不安そうな顔をする」「いや……楽しかったから忘れてたけど、俺って明日、受験なんだよな」「もぉー、今からそんな弱気でどうすんのよ」「だな。今更じたばたしても仕方ないよな」「絶対大丈夫だから。自信持ってよね」「でも……今日で終わりなんだな、こんな時間も」「あ……」 悠人の言葉に、小百合がはっとした。 そうだ。合格にしても不合格にしても、悠人の家で一緒に過ごした生活は、今日で終わりなんだ。 そう思うと急に、小百合の中に寂しさが込み上げてきた。「そう、だよね……こうして悠人といるのも、今日が最後なんだよね……」 小百合の様子に悠人は、しまった、今する話題じゃなかった、そう猛烈に後悔した。 小百合はうつむきながら、懸命に笑みを浮かべようとする。「ダメダメ、今日はリフレッシュの一日なんだから。しめっぽくするのはやめよう!」「……すまん、悪かった」「いいっていいって。この話はこれで終わり。それより悠人、隣に行ってもいい? 渡したいものがあるの」「あ、ああ、いいよ」 悠人の隣に座ると、小百合はバッグからラッピングされた包みを出した。「今日まで小百合先生によくついてきました。これはそのご褒美です。ちょっと早いけどバレンタインチョコ、受け取ってください」
「……小百合〈さゆり〉?」 声に振り向くと、公園のベンチに座る悠人〈ゆうと〉がいた。「なんか、久しぶりだね」 小百合がそう言って、悠人の隣に座る。「だな。高校までは毎日一緒だったから、俺も久しぶりな気がするよ」「一週間も経ってないのにね」 小百合が小さく笑う。「大学はどうだ?」「うん、それなりに楽しいよ。友達ともよく遊びに行くし、サークルのみんなも優しいし」「そっか。まぁ楽しくやってるならいいさ」「悠人は?」「俺か? 俺はいつも通りだよ」「どうせ一人で講義受けて、終わったらまっすぐ帰ってるんでしょ。一人で」「今の大学には、お節介な保護者もいないしな」「悠人くん。それはもしかして、私のことを言ってるのかね」 拳を握り、小百合がにっこり笑う。「はははっ」「ふふっ」 * * *「でもほんと、久しぶりだよな。こんな感じで喋るのも」「別々の大学で生活サイクルも変わって、行き違いばっかだからね」「最初の頃はお前も、夜になったら俺の部屋に来てたんだけどな」「それってちょっと、いやらしくない?」「全然。子供の時は風呂も一緒だったんだ。今更だろ」「それはそうだけど」「そんなこと言ったらお前、去年の今頃、毎晩俺の家に泊まってたじゃないか」「あれはだって……悠人の家庭教師してたからじゃない」「そうなんだけどな。その節は本当、お世話になりました」 悠人が大袈裟に頭を下げる。「いえいえとんでもない。出来の悪い生徒だったけど、なんとか合格させることも出来たし、先生としては満足でしたよ」「お前とは頭の出来が違いすぎるからな。お前は推薦、俺はランクをひとつ下げてもぎりぎりだったからな」「でもあの
「なんなんだこの部屋は……」 * * * 隣なので、基本的に悠人〈ゆうと〉の家と同じ間取りのはずだった。 しかし足を踏み入れた沙耶〈さや〉の部屋は、奥の二部屋の壁がぶち抜かれ、14畳の洋間になっていた。台所も、最新式のシステムキッチンになっている。「工事してるのは知ってたけど、お前だったのか」「ああ。流石に死ぬまでとは言わぬが、当分ここが拠点になるのだ。住みやすいよう、変えさせてもらった」「これだけのリフォームをわずか数日で……一体いくらかかったんだよ」「すいません、これはどちらに?」「ああ、一番奥に頼む」「よかったね悠兄〈ゆうにい〉ちゃん。これでずっと、弥生〈やよい〉さんともサーヤとも一緒だよ」「いや、そうなんだけどな……」「遊兎〈ゆうと〉、仕事が出来たぞ。私のベッドだ、組み立ててくれ」「分かった分かった」 * * *「こりゃまた、規格外のベッドだな」 小柄の沙耶が何人寝れるのか、そのベッドはキングサイズの域を超えていた。しかも屋根がついていて、高価そうなレースがかかっている。「……どこの異世界の王女様だよ」「何を言う。これでも実家のベッドに比べれば、ランクはかなり落ちるのだぞ。この部屋には大きすぎるからな」「……お嬢様ってのは、本当なんだな」「最初からそう言っておるだろうが」 天井には小型のシャンデリア、大画面液晶テレビにレコーダー、最新のパソコンにデスク、リクライニングチェアーには両サイドにスピーカー内臓。 フローリングには雲のような絨毯。カーテンも、レースだけで何万するのだろう? そう思ってしまうほど高価なものだった。「なあ沙耶。ここまで金があるのに、なんでこんな過疎マンションに住むことにしたん
朝。 何かがまとわりついている感覚に、悠人〈ゆうと〉が目覚めた。「げっ……」 ネグリジェ姿の沙耶〈さや〉が布団に潜り込み、悠人にしがみついていた。「また……お前か……」 沙耶を起こそうと体を向けると、胸元に視線がいった。ネグリジェがはだけ、沙耶の微乳があらわになっていた。「お、おい、起きろ沙耶」 赤面した悠人が、慌てて沙耶の肩をゆする。「う……うーん……」「ひっ……さ、沙耶……」 甘い匂いに動揺する。 沙耶の小さな唇が、悠人の耳元をかすめた。「ゆう……と……」 耳元に沙耶の声。顔には沙耶の金髪が、足には細い足が絡みつく。 ガンガンガンガンッ! 突然頭の上に、金属音が鳴り響いた。慌てて見上げると、小鳥〈ことり〉がフライパンとお玉を持って立っていた。「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、おはよう」 意地悪そうに、ニンマリと笑う。「いや、これはその……違うんだ小鳥」「最高のお目覚めだね、悠兄ちゃん」「……この状況でそれを言うか? 知ってたんなら助けてくれよ」「だってサーヤ、今日引越しだからね。最後の夜だし、悠兄ちゃんを貸してあげようと思って」「貸してってお前……それは自分の持ち物って前提じゃないか」「ほらサーヤ。そろそろ起きないと、引越し屋さん来ちゃうよ」「ん……」「おはようサーヤ。よく眠れた?」「おはようございます、小鳥&hellip
「これはまた……面妖な味だな」 菜々美〈ななみ〉の淹れたコーヒーを口にして、沙耶〈さや〉がつぶやく。「北條さん、コーヒー駄目だった?」「いえいえ、違うんですよ白河さん。このサハラ砂漠、インスタントコーヒーなるものを飲んだことがないんですよ。なにしろお嬢様らしいですから。胸は平民以下ですけどね、おほほほほほっ」「そう言うお前は、こういう平民飲料水で無駄な色香を育てた訳だな」「二人ともほんと、何がきっかけでも会話が弾むよね」 小鳥〈ことり〉が笑う。菜々美もつられて笑った。「みなさんほんと、楽しいですね」「あははっ……でも白河さん、想像してた通りの人ですね」「私ですか?」「はい。悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、よく白河さんの話をするんです。その時の悠兄ちゃん、いつも楽しそうで。だから白河さんに会えるの、すごく楽しみだったんです。やっと今日会えて、悠兄ちゃんがあんな顔をする理由、分かった気がしました」「どんな風に分かったのか、聞いてもいいですか?」「白河さん、きっとすっごく優しくて、気遣いの出来る人なんだと思います。そして多分、どんなことにも一生懸命なんだろうなって」「……すごく壮大な分析ね」「私も白河さんのお話は伺ってましたが、確かにその時の悠人〈ゆうと〉さん、優しい顔をしてました。私結構、嫉妬全開でしたよ」 弥生〈やよい〉が入ってくる。「しかも白河さん……なかなかどうして、結構なものをお持ちなようで」 弥生の視線に、菜々美が慌てて胸を隠した。「な、なんですか川嶋さん、その目怖いですよ」「いえいえ、男所帯の町工場に咲く一輪の花。それを想像するに私、次の作品のいい刺激になると言うかなんと言うか……とりあえず白河さん、その胸をば少々触らせてもらっても」 ガンッという音と共に、弥生が頭を抑える。沙耶のトレイ攻撃だった。「ぷっ……」 菜々美が再び吹き出した。「あははははははっ」
(あれから気まずくなるかなって思ってたけど、悠人〈ゆうと〉さん、思ったより自然に接してくれて……嬉しいような寂しいような…… あれ以来告白してないけど、それでも、悠人さんの一番近くにいるのは私だって思ってた。だから変な安心感があったんだけど……最近、悠人さんから女の子の話をよく聞くようになって……私、このままでいいのかな……) コーヒーを飲み干し、悠人が立ち上がる。「よし。じゃあもうひと踏ん張りするね」「じゃあ悠人さん、頑張ってくださいね」「菜々美〈ななみ〉ちゃんもありがとね。うまくいけば、あと2時間ぐらいで片がつくと思う。菜々美ちゃん、いつでも帰っていいからね」「私、今日は最後までいます。いさせてください」「いてくれるのは嬉しいんだけど。菜々美ちゃんは大丈夫なの?」「勿論です。悠人さん一人に大変な思いはさせられません。何もお手伝い出来ないけど、せめて完成するのを見届けさせてください」「分かった。ありがとう、菜々美ちゃん」「それに……こうして一緒に、二人きりでいられるのも久しぶりですから……」 そう言うと菜々美はカップを持ち、足早に事務所に戻っていった。 * * * 菜々美は悠人の椅子に座り、膝を抱えて考え込んでいた。(思わずあんなこと言っちゃった……今までずっと自然に振る舞ってたのに、なんであんなこと言っちゃったんだろう……焦ってるのかな、私……) 菜々美は悠人の変化に動揺していた。最近の悠人はこれまでよりも優しく、強く、誠実さを増しているように感じる。それはまるで、人生において目標を見つけたかのような変化だった。 明らかに悠人は変わった。そしてその原因が、最近悠人が口にする「小鳥〈ことり〉」によるものなのか……そのことを考えると、言いようのない不安に襲われた。(幼馴染の子供、小鳥ちゃんか……) 時計を見ると21時をまわっていた。「そうだ、うっかりしてた!」
飲み会が終わり。 菜々美〈ななみ〉は小雨の繁華街を、一人歩いていた。(悠人〈ゆうと〉さん、私のことをどう思ってるんだろう……やっぱり妹なのかな……) そんなことを考えながら信号が変わるのを待っていると、サラリーマン風の二人が近寄ってきた。「君、今一人?」「よかったら一緒にどう?」 明らかに酔っている二人が、菜々美の肩を抱いてきた。「あ、あの……やめてください」「いいじゃないの。どうせこうして声かけられるの、待ってたんでしょ」「楽しいからさ、一緒に飲みにいこうよ」 肩を抱く手に力を込める。 男に免疫のない菜々美の足が、がくがくと震えてきた。助けを求めたいが声も出ない。「あれ? ひょっとして震えてる? 大丈夫だよ、俺ら優しいから」 涙があふれてきた。「はいはいウブな真似はもういいから。行こ行こ」「……菜々美ちゃん?」 聞き覚えのある声がした。菜々美が顔を上げると、そこに悠人が立っていた。「ゆ……」 悠人の顔を見た瞬間、緊張感が一気に解け、その場にへなへなと座り込んでしまった。「うっ……」 口に手を当てると同時に、涙が頬を伝った。「ほんとに泣いちゃったよ」「てか、お前誰だよ」「何してるんだ……」「何だお前、喧嘩売るってか」「何してるんだっ!」 悠人が傘を投げ捨て、今にも飛び掛りそうな勢いで二人を睨みつける。 その勢いに、二人が一瞬後退る。しかしすぐに態勢を戻し、悠人に突っかかっていこうとした。「ふざけるなお前ら! 消えろ!」 悠人の大声に、通行人たちが足を止めて見物しだす。周りに人が集まってきたことに気付いた二人は、「けっ……格好つけてるんじゃねぇぞ!」 そう捨て台詞を残し、その場から去っていった。「……」 通行人たちも立